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フラワーアレンジメントの「切られた花」に罪悪感を感じていたら、千利休のエピソ-ドを聞いてほっこりした話

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こんにちは!aimiです。春が近づいてきましたね。

先日フラワーアレンジメント教室に行ってきた記事を書きました。

・・・・いきなりで恐縮ですが、はっきり申し上げます。

華々しいアレンジメントは「長く持たせる」方法のひとつといっても所詮、花は枯れる運命。

【参考記事】

[blogcard url=”https://www.aimisuna.com/2018/02/16/post-8974/”]

 

花屋さんの花は売られる運命のもと、作られた

残念なことに、「土から抜いている」時点でもう花の死期は決まってしまっていますよね。

とはいってもネット界隈では『花はかわいそうな運命』と思う、同じような考えの方って結構いらっしゃって、「私は正常なのだ」とも認識してほっとしていたところであったのです。

お花屋さんのお花って「切って売られるために作られていた」わけであります。お肉屋さんで売られているお肉もそうであったように。

ならば花の運命を最高なものにしてあげよう

アレンジメントを自宅のテーブルに飾ってみて、少し悶々とする日々が続きました。

確かにきれいなのだけれど、日に日に発色が悪くなっているのがわかります。

スポンジ(オアシスともいう)に水を霧吹きでかけたり、切花延命剤をかけて枯れるのを伸ばすことはできるのですが、切ってしまっている以上、これ以上元気になっていくことは絶対にない。

千利休のエピソードに救われる

そんな中、豊臣秀吉に仕えていた、「千利休」のエピソードに出合いました。

「一輪の朝顔」という有名な逸話です。

利休がその庭に咲き誇った朝顔が見事なので、秀吉を「朝顔を眺めながらの茶会」に誘い、秀吉は「利休が誘うほどだから、さぞかし見事な朝顔であろう」と期待します。

ですが、秀吉が利休の屋敷を訪れると、朝顔は全てその花を切られています。そして、一輪だけ、茶室に朝顔が飾られていました。一輪であるがゆえに、侘びの茶室を見事に飾る。これを見て、秀吉は利休の美学に感嘆したといいます

~「花を飾る」より引用

私はこれを聞いて、フラワーアレンジメントの原点=「切花の最高の状態の見せ方を作り上げること」に非常に納得がいったのでした。

利休のやり方は秀吉を皮肉ったものではあったけれど、「印象に残りすぎる作品」であったことに間違いがない。

「幾万もの首を刈り取り、一人咲いているのが、あなたである」と…。秀吉にも茶の美意識、趣味人としての鷹揚さはあったと思います。

しかし、まだまだ戦国の世です。その中で人の心を様々に読み続けてきた二人にとって、それが一種の心理戦であったと仮定したら、利休は自分の美学を秀吉に「見せつける」と同時に、秀吉の「俗」をそこで露わにして見せたのではないでしょうか。

なんだかぞくぞくさせられるエピソードですよね。

切花たちも、「作品としてみてもらう」のが本望ですよね。それがお仕事。そう思ったら気が楽になりました。

まとめ:「フラワーアレンジメント」=「切られた花の本望」と考えればココロが楽になった

いかがでしたでしょうか?

今まで、アウトドアに親しんでいて、そこに生えているお花(=切花ではない)に

  • 「○○が咲いている」
  • 「○○がきれいだね」

という感情はココロの底からわきあがってくるものでしたが、今回体験させていただいた、フラワーアレンジメントにはそれを感じなかったんですよね。

たしかにそのときは「どう見せれば綺麗になるか」という考えで作業をしていたのですが、家に帰ると冷めたというか、なんと言うか。言葉にできない何かがあったんですよね。

それをすっきりさせてくれた、侘び・寂びの帝王、千利休師匠には感謝の念しかございません。

以上、『フラワーアレンジメントの「切られた花」に罪悪感を感じていたら、千利休のエピソ-ドを聞いてほっこりした話』の記事をお送りしました。

「日常の中の非日常」を楽しむ、千利休の茶道精神の手引きはこちら

総合芸術と言われる茶道の奥深さと面白さを再認識させてくれる一冊になっています。本当に面白い世界。

茶道、習ってみたいと本気で思っておりますw

 

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